ツァールスコエ・セロー Tsarskoe Selo(旧プーシキン Pushkin)(エカテリーナ宮殿)

ツァールスコエ・セロー Tsarskoe Selo(旧プーシキン Pushkin)(エカテリーナ宮殿)

概要
エカテリーナ宮殿 Ekaterina Palace
サンクトペテルブルグの南へ27km。
18世紀初めから1917年2月までツァールスコエ・セロー(皇帝の村の意味)と呼ばれ、歴代ツァーリの夏の宮殿があったところで,現在は博物館になっている。
ロマノフ王朝歴代の皇帝たちの足跡を伝える「ツァールスコエ・セロー(「皇帝の村」の意)」がある。
ピョートル大帝の娘、女帝エリザヴェータの命により1750年代に建設された。

イタリアの建築家ラストレッリによる壮麗な宮殿で、エリザヴェータの母エカテリーナ1世(在位1741〜1762年)にちなみ「エカテリーナ宮殿」と名づけられた。
ロシアの代表的なバロック建築だが、後にピョートル大帝の孫でありその教養や男勝りの政治力で知られるエカテリーナ2世(在位1762〜1796年)がここに住み、内装や調度品を自分の好みの華美なロココ調に変えたという。
何といっても天井から壁から琥珀で埋め尽くされた「琥珀の間」が圧巻。
2003年、サンクトペテルブルクの建都300周年に合わせて復元されたものだ。

江戸時代の商人大黒屋光太夫がロシア領であるカムチャッカに漂着した際、帰国を願い出るためエカテリーナ2世に謁見したのがここエカテリーナ宮殿大広間であった。
井上靖の原作の映画「おろしや国酔夢譚によって知られている。

ロシアを代表する詩人、アレクサンドル・プーシキンが一期生として学んだ学舎を公開した「学習院」が宮殿と渡り廊下で結ばれており、付近にはプーシキンが妻と過ごした家がプーシキン生誕150周年を記念して「プーシキン記念館」として残されている。プーシキン市は1998年にサンクトペテルブルクに編入された。ツァールスコエ・セローはプーシキン市の中に入る。(QTAkj)